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2011年5月31日火曜日

Parmesh Bhatt died on May 27

2011年5月22日日曜日

人間到る処青山有り

「万物流転(パンタ・レイ)」をギリシャの哲学者たちは論じた。
万物の動的平衡、常ならざる常態を理性で捉えようとした。
そのうちに、万物流転の中に、あるパターンを発見するようになった。
そのパターンを言葉で説明し理解しようと始めた。これが科学となった。
パターンは流転の瞬間を止めてみること。そのパターンをできる限り維持すること
(静的平衡)。
それは科学技術になった。つまり、万物の動的平衡を止めようとすること、
その止まってみえるパターンから何かを人間の暮らしに役立てようとすることが
科学技術となった。

科学はそのうち、静的平衡が万物の流転の中でも平衡を保つと過信をし始めた。
平衡を保つ筈だと信じ始めた。科学の名の下の「神話(myth)」である。
「安全神話」などである。

静的平衡を科学技術が追求した結果が原子力発電所だった。
しかし、核物質は動的平衡そのものだった。破壊と再生を延々と繰り返す。

この二律背反を原子力の平和利用と嘘ぶいて、国は科学技術政策としていたわけだ。
「安全神話」という過信の下に。

科学(技術)は万物の流転を止めることはできない。
つまり、人間に「できないこと」を教えるのが科学ということ。
もし止めることができるのであれば、人間は永久に死なない。

「動的平衡に逆らって何かをせき止めて、人間の暮らしに役立てようと思うことが
そもそもの間違いなんだと思います。」(福岡 伸一)
原発はまさにそうなのだろう。核物質という究極の動的平衡を無理矢理、
鋼鉄とコンクリの建物に押し込んだもの。

放射性物質の環境への放出が止まらない。

原子炉の「停止/閉じ込め/冷却」のうち、「閉じ込め」と「冷却」に失敗したと言う。
これは重大な意味を持つのだと、原子炉設計に携わった設計者たちは口を揃えて言う。
つまり、核物質(放射能)が設計上の静的平衡を保つことができなくなり、原子炉外の環境の
チェーンに組み込まれたことを意味する。つまり、人間の科学では止めることができない
万物流転の鎖の中に人工的に高度に濃縮された核物質(放射能)を組み込んでしまった。

かくして核物質の動的平衡は生物に連鎖していく。そして常ならざる常態で平衡していく。
人間も然り。
連鎖されたくないと誰もが思う。自分だけは静的平衡の側に居たいと。
それは散々騙された科学という「信仰」に近いドグマに再び陥ることだ。

しかし、万物は流転する。肯定的な無常観が求められている。
それは、悲観でなく楽観であり、可能性である。
老哲学者の梅原毅さんが、今の時代にこそ、哲学に回帰すべきだと言われる。
然り。
「男児志を立てて郷関を出ず、学若し成る無くんば復還らず。骨を埋むること
何ぞ墳墓の地を期せん、人間到る処青山有り。」