病院や公共機関でも今や当たり前のように便座型のウォシュレットが普及しています。
紙資源の節約、痔瘻など皮膚疾患の防止に貢献する点で時代の潮流を先読みしています。
さて、日本がこれまで得意としてきた技術分野は中国など新興国の技術の追い上げと価格競争で窮地に立たされています。
しかし、日本の工業技術で世界になおアピールできるとすれば、世界の人がまだ経験していない、心地良く且つ時代のニーズにフィットした生活文化(習慣)を背景にした技術でしょう。ウォシュレットはこの点で最も可能性のある技術商品です。
日本食がダイエットや生活習慣病予防の観点から、新興国の富裕層を中心に普及しつつあるのも、こうした日本独自の文化でありつつ且つ時代のニーズにフィットしているからでしょう。
半導体や液晶ディスプレイの技術の背景には日本独自の生活文化(習慣)はありません。デファクトとなるスタンダードを日本が握っているわけではないのです。従って、中国や韓国などの技術水準があがれば価格競争で日本は勝ち目がありません。品質と価格が市場の要求に合えば、どの国のものでも世界でビジネスができる時代になりました。これは、ビジネスを行う環境/インフラ/デファクトがすでに世界的にあるからです。たとえば、ブラウン管のテレビがあること、ソフトがあること、電気などの公共インフラがあることです。
では、ウォシュレットが日本を救う!です。
ウォシュレットを受け入れるような環境/インフラ/デファクトは日本以外の国にあるでしょうか?先ずはお尻を洗う生活習慣はないでしょう(ラテン系の国にはビデがありますが目的が違います)。紙を節約できる観点もないでしょうし、痔瘻など皮膚疾患を予防しようとする観点もないでしょう。TOTOといったメーカーの提供するようなメンテナンスのサービスもないでしょう。日本に初めて来る外国人が先ずは学ぶのはホテルのウォシュレットの使い方だそうです。その昔、フランキー堺の車掌もの映画のワンシーンで田舎から出てきた母親(ミヤコ蝶々)が東京のホテルの西洋式便器が理解できなくて、便器で顔を洗いそうになったのを覚えていますが、そんなカルチャーショックだそうです。
ウォシュレットを世界に普及させる方法として私が考えたのは、先ず、ウォシュレットを使ってもらうための環境/インフラ/デファクトの普及です。即ち、ODAで金をばらまいたり、コンクリの構造物を提供する代わりに、学校、病院、公共施設にウォシュレットを提供することです。水泳用のプールなどにも提供したら良いかもしれません。肌に良くない塩素を濃くして消毒する位なら、利用前に施設のウォシュレットでアノ部分を洗浄してから入ってもらえば良いわけです。ウォシュレットの水に消毒剤を入れておいてもよいかもしれません。こういうように将来のビジネスのタネを撒ける環境/インフラ/デファクト(土壌)を普及することです。さらに、TOTOを始めとした日本の関連企業に事後のビジネスを斡旋して、事業の世界的拡大を後押しすることです。「日の丸トイレ」「安全・安心・キレイの日本品質」といった標語で普及させても良いでしょう。
お尻を洗う生活習慣を体験してもらうには、便座型のウォシュレットを最初から提供する必要はありません。電池不要の携帯式ウォシュレットで十分です。電気や水道施設などのインフラが整っていない地域にとってはかえってこの方が良いかもしれません。
電池不要の携帯式ウォシュレット例 |
ウォシュレットの初体験をしてもらった上で、公共機関やホテルなどを対象に便座型のウォシュレットを提供し、その見返りとして提供先には、ネットなどで大いに宣伝してもらうことです。現地で製造できる拠点やサービスの拠点を日本企業にどんどん提供することです。日本の若者にはそういった場所に就業を斡旋することです。
自然環境に配慮する観点では、汚水処理が困難な場所(山岳地など)の観光拠点に提供することも考えられます。日本で言えば、富士山頂上のトイレに設置することです。山肌を使用済のトイレットペーパーが雪のように舞うような状況も改善されるでしょう。水と電気については、太陽光発電などを利用してそのような場所でも獲得できるはずです。
飛行機の便座にも取りつけたらどうでしょうか?以前からなぜ無いのだろうと疑問でした。紙を節約できる点で航空会社にとってもメリットがあると思います。少なくとも日本の航空会社の一つのウリになります。世界中の航空会社に売り込むのも手です。新幹線を世界に売り込む場合にもトイレにはウォシュレットが欲しいところです。また、長期滞在型の宇宙ステーションにもウォシュレットは必要でしょう。宇宙生理学で用便は重要なファクターです。もっとも、水滴を残らず回収する技術も必要ですが。
ウォシュレットではありませんが、同じ発想では、日本独自のOS(トロン)を搭載し、手回しのゼンマイで発電/充電/駆動するノートパソコンを日本のODAとして発展途上国の教育機関に無償提供するのも一案です(OLPCの先行例があります)。別項で取り上げた東洋ゼンマイ工業のゼンマイやゼンマイを利用した発電装置などは、その技術自体は目新しいものではありませんが、このパソコンにハイブリッドすることでさらに活用され得る技術でしょう。また、パソコンには日本で開発した教育ツール、翻訳ツールや情報交換ツールなどのソフトウェアを予めインストールしておきます。ついでに、トロンで簡単にソフトウエアが開発できるキットも入れておきます。ソフトウエアと連動するロボットのキットなども併せて提供しても良いでしょう。このノートパソコンのスキンをウェアラブルにして、その部分に日本のアニメやポップカルチャーのスキンを提供するのも一考でしょう。今や世界語になりつつある「OTAKU」みたいな標語やロゴでそのパソコンを普及させることも良いかもしれません。スキンの為の著作権については著作権者と話し合って、このパソコンに用いる限り開放するなども一考です。また、このパソコンのコンテンツとしてアニメを配信して日本の文化やアニメの上での日本語(アニメ語)を普及させることも考えられます。東京都が企画予定のアニメフェスティバルみたいなイベント発想ではなくて、アニメを日々どんどん海外に発信するようなネットライクでライブな発想が欲しいところです。世界の次世代を担う若者にコミットせずして、日本の世界でのビジネスの展望は開けません。
OLPCの手回し発電機付パソコン(ゼンマイは内蔵されていない) |
上述のウォシュレットにせよパソコンにせよ、インフラを先ずは撒いて、その上に将来の人と技術を積み上げることが投資です。NECなどに協力してもらって情報基盤を提供先で同時に整備しても良いでしょう。かつて日本が果たせなかった情報基盤/産業基盤の世界覇権に再度チャレンジするには、こういった無償の先行投資が不可欠でしょう。ただし、覇権は後述の通り「ガラパゴス」の飛び島で十分です。
日本の技術やビジネスが世界で後塵に甘んずるようになった要因としては、経済システムという川の下流でいつの間にか技術開発をしていたり、ビジネスをしていたことにあります。そこでは塵や芥が流れてくる上に川幅が大きいのでプレーヤーがあちらこちらから船で乗り付けてきます。ビジネスモデルもすぐに真似されます。ゴミまがいの技術製品でも安ければ売り買いされます。また、ここでは技術やビジネスモデルのリプレイスが行われていますが、リプレイスを繰り返すほどに技術が陳腐化し、ビジネスモデルが疲弊します。国内の携帯電話キャリアーのリプレイスぶりをからもこの傾向がうかがえます。他方、携帯電話の基本技術について日本が世界に提案できるものがありません。ギャラクシー、アンドロイド、iPhoneなどみな、日本が先導していることではありません。どこかのキャリアーのように白い犬のドラマCMで消費者の目先を引くのがせいぜいです。
一方、川の上流は水が澄んでいて川幅も狭いので、下流ほどプレイヤーは居ません。ここでは個人生活や習慣に極めて密接した技術が生きています。ある意味で技術が文化や習慣を伴っています。
たとえば、アップルの音楽配信サービスを中心にしたビジネスモデルは、企業・社会向けというよりも、個人のプライベートな生活や習慣の局面と密接に関係しており、その意味で川の上流でのビジネスモデルと言えます。ハードとOSもアップルが独占しているので、技術のリプレイスの必要性は川の下流に比べて少なくて済みます。またユーザも技術よりもそれが提供する文化や習慣の持続を希望するので技術力と価格競争ばかりの下流とはビジネスの環境が異なります。アップルの昔のロゴマーク(レインボーカラーのリンゴマーク)は1970年代のフラワーパワーの名残です。ドラッグで世界がサイケに見えるというわけです。
アップル旧ロゴマーク |
米国の友人にもしこのロゴが好きだなんて言ったりしたらお尻を触られるかもしれませんよ。ドラッグ・反体制といったサブカルチャーがアップルの出所なのです。この出所は個人のプライベートな生活や習慣に密接にコミットしており、アップルはこの出生の秘密をビジネスにうまく取りこんできたわけです。アップルの反面教師がビッグブルー(IBM)であり、そのIBMが遂に信者を作ることなく同じビジネスから去ったのも記憶に新しいところです。この上流で宗教とビジネスが密接に関係している例としては、ユダヤ教のコシェルがあります。宗教上の戒律に沿った清めがなされた食品以外は流通させることができないわけです。従って、清めを行う技術とビジネスがこの宗教圏には存在します。
悪いことの表現として用いられることの多い「ガラパゴス化」は実は川で言えば上流のビジネスなのです。技術のスペックや価格での差別化ではなく、その背景にある文化・生活習慣での差別化を意味します。他とは違う背景を持っていることなのです。ただし、ガラパゴスが日本国内だけの意味ならやはり悪い表現でしょう。後述のカルチャーを享有する相手ならガラパゴス化は海外でもあり得ることだからです。宗教とカルチャーは究極のガラパゴスです(上述のユダヤ教のコシェルの例のように)。キリスト教が流行っているからといって仏教徒が明日から宗旨がえをするとことはありませんし、アップルの信奉者がウィンドウズが安いからといって同様に宗旨がえをしたりはしません。技術と価格オンリーの世界ならガラパゴスは存在しません。その背景にある文化・生活習慣が消費者の心理を支配しているのです。
日本の経済を浮揚させるには、上述の喩えで言う「川の上流」に文化や生活習慣を伴う技術をいかに持っていくかが課題だと考えます。幸い、日本には世界が羨むようなアニメやポップアートといったカルチャーがあります。アニメおたく同士なら片言の日本語を話したり、アニメのキャラクターに関連する言葉については片仮名や漢字が読み書きできる若者が世界中にいることは、ビジネスをする上でももう少し着目すべきでしょう。ベルリッツのような語学教室をわざわざ世界に展開して日本語を普及させなくても、カルチャーは自然と日本語を世界に広めることができるのです。その部分については環境/インフラ/デファクト(土壌)がすでに世界中に存在しているとみていいでしょう。あとはその上に技術とビジネスをどう載せるかです。トヨタも世界の日本おたくが喜ぶような、アニメでボディーアートしたモデルを世界に向けて売ったら良いのです。技術上のスペックや価格では競争相手が多すぎます。ベツの価値観を車に載せて売るべきでしょう。そういうことが上流のビジネスなのです。文化や生活習慣は日本のものでなくても良いのです。インドで車を売りたければ、ダッシュボードにヒンズー教の神様の写真を飾れるフレームを設けたり、ボリウッドのスターとコラボしてスターの名前を冠したイメージカラーやデザインのボディー提供するなど、現地の宗教やカルチャーでめいっぱいローカライズすることも必要です。ボリウッドの女優の古典的なフェイスメイクやアクセサリーのように左右非対称のボディデザインも美意識でフィットするかもしれません。左右非対称(アシンメトリー / asymmetry)は日本を含めアジア圏の共通の美意識です。和服の左前/右前の合わせからして非対称です。何事にも左右対称(シンメトリー / symmetry)な西欧の美意識に対して、デザイン上の一つのアンチテーゼとなり得ることです。
ボリウッドの大女優レカー (Rekha) |
ニッサンCubeのリアデザイン(左右非対称) |
メカは技術屋に任せても外観やイメージ造りにはアート、カルチャー、宗教などのファクターを十分取り込むべきなのでしょう。150 kmで走れるような道路がない国に空力特性値の優れた車を売り込む必要は全然ありません。日本人の感性ではエゲツないと思うようなデザインであっても、その国の消費者の心理を鷲掴みにするなら大手企業といえどもそういうふうにするべきでしょう。光岡自動車の「オロチ」は昨年の上海の自動車ショーで即座に中国人の心理を掴んで、大いにビジネスが展開しそうな様相です。これは技術屋の思考ではありません。
つまり過去の成功体験に縛られて、技術力と価格競争力があれば良いと信じる限り、中国や韓国と同じ土俵で相撲をとるようなものです。そうではなくて、文化や生活習慣をビジネスのファクターとして上手に既存の技術とハイブリッドさせて世界に売り込むことが日本経済の浮揚につながると思います。昨年、トヨタがブレーキペダル問題で米国議会でバッシングされた際に、ブレーキの踏み味を技術取締役が何センチ何ミリの「フィーリング」で説明しようとしましたよね。フィーリングは技術屋の言葉であってはいけないのです。技術スペックだけが要素ではなく、生活習慣や考え方、心理の違いがプロダクトの価値判断につながることを知らない不用意な発言だったわけです。
世界に売る技術製品にハイブリッドできる文化や生活習慣は日本の中には山ほどあります。たとえば、日本では家の中では靴を脱ぐのが当たり前です。靴を脱ぐことによって日本人は欧米人に比べて水虫や足指の変形が少ないのです。また、素足で家の中を歩く都合、清潔意識も生まれながらに高いわけです。そういった生活習慣から派生した技術や商品は、そういう生活習慣のない外国に対しては、生活習慣さえ根付かせることができれば、売り先の可能性があるわけです。欧米の日系ホテルは畳敷きの和室を作るべきでしょう。畳の部屋に素足で泊まってもらうことです。部屋のバスではなくて、日本式に杉や檜の浴槽を設けた大浴場や露天風呂に素っ裸で入ってもらうことです。そしてその習慣に合った商品やサービスを輸出するのです。いずれは個人の家にも波及するかもしれません。和畳、杉や檜が輸出商品になるなんて素晴らしいことではありませんか?温泉が湧く場所では、欧米では一般的な医療としての温浴ではなくて、娯楽としての温泉文化を施設やサービス、掘削技術など丸ごと輸出することも可能でしょう。
農業生産品についても、文化や生活習慣といった付加価値をつけることです。たとえば、「安全・安心・キレイの日本品質」は我々日本人にとっては当たり前の生活習慣であり、文化です。これを農業生産品にハイブリッドさせて、世界に売り込むことです。価格競争では勝ち目がなくとも、この価値観で消費者になってくれる人を探すことの方が将来性があります。世界には「生鮮」を食べることができない国がいくらでもあります。我々にとって当たり前の「生鮮」は他国にとっては当たり前ではないのです。でも一旦、生活習慣や価値観として日本のものが受け入れられさえすれば、そこにビジネスの可能性が生まれます。要するに価値観を先ずは提供することです。生ものを食べる習慣のなかった中国で富裕層を中心に鮨ブームが起きつつあるのも、日本独自の価値観や生活習慣が中国のそういった層に享有されてのことです。そうなれば、あとはビジネスとなるわけです。
東京都が水ビジネスを世界展開するそうですが、これも蛇口から直接水が飲めるのが当たり前の日本人の生活習慣を世界の生活習慣とする試みです。蛇口から飲むこと自体がカルチャーショックな国は世界中にあります。水だけの話であれば、ミネラルウォーターの会社との価格競争ですが、蛇口から飲むという生活習慣なら日本は世界で競うことができます。
口から飲む水を売り込むなら、ついでにお尻に水をかけるウォシュレットも売り込むべきだとは思いますが。
私はマクドナルドで食事をする習慣がありませんが、昔、日本マクドナルドの創業者である藤田氏が「子どものうちにマックのハンバーガーを食べさせておけば、生活習慣として将来にわたって良き消費者になってくれる」ようなことを言っていたのを覚えています。単にマックのハンバーガーの味のことを言っているのではなく、マクドナルドの提供する生活習慣を子どもに刷り込むことを藤田氏は経営上考えていたのかもしれません。歩きながら食べるとか、子供同士で入店するとか、一昔の日本ではありえない習慣です。母親に行儀や品行が悪いと引っ叩かれる前に、企業人が先ずはそういった習慣を当たり前にすること、その先にモノを売ることがイロハなのかもしれません。極めてプライベートな生活の局面にコミットしたビジネス手法ですが、実はこれが川の上流の発想なのかもしれません。「旨い・安い・早い」では、次に売るものはなくなってしまいます。牛丼業界の競争をみればわかる話です。あらたな文化や生活習慣を提案できなければ「旨い・安い・早い」では共倒れでしょう。限りなく旨く、タダに近く、0秒に近く出てくるなんていうことに企業努力を傾けることはナンセンスです。ユニクロもこれに近いビジネスをしていますが、ある日、タンスの引き出しを開けたら、ユニクロだらけで自己嫌悪に陥ったなんて話は最近良くききます。自分(アイデンティティ)が他の人と「ユニ」(同じ)では、いつの日か自己嫌悪になるのも当然です。
長々と自説をぶちましたが、
子供手当みたいに将来の働き手の頭数を期待する投資の仕方でなくて、将来のビジネスのタネを蒔く投資の仕方にカネを使うべきです。頭数がそろってもその頃に仕事がなくなってしまえばどうしようもありません。次の世代に借金を贈るのではなく、ビジネスのフィールドとチャンスを現世代は次世代に贈るべきでしょう。それもガラパゴス的にニッチにです。世界中の飛び島の中では日本の技術がデファクトであればよいのです。アピールできるような文化や生活習慣がその背景にあれば、島の中で宗旨がえは起きないでしょう。少なくとも日本国民を将来にわたって養うことのできるビジネスのフィールドとチャンスを世界に獲得できます。前述のアップルはパーソナルコンピュータの世界ではガラパゴスです。しかし、カルチャー又は宗教といってよい背景的な要因がその島の住人を離さないのでしょう。日本の企業もこういった背景を多いに前面に押し出してビジネスすべきでしょう。技術馬鹿ではダメなのです。「OTAKU」といった日本発の文化や「安全・安心・キレイの日本品質」といった生活習慣や生活文化こそ、日本が世界を相手に舞台に掲げる大緞帳に金糸でデカデカと縫いつける文言になるかもしれません。その昔、「フジヤマ・ゲイシャ」で米国人に日本製品をアピールしたようにです。
政治家は国策として以上のようなことを経済界とともに考えて欲しいものです。
by R. Enomori
光岡の「オロチ」 |
つまり過去の成功体験に縛られて、技術力と価格競争力があれば良いと信じる限り、中国や韓国と同じ土俵で相撲をとるようなものです。そうではなくて、文化や生活習慣をビジネスのファクターとして上手に既存の技術とハイブリッドさせて世界に売り込むことが日本経済の浮揚につながると思います。昨年、トヨタがブレーキペダル問題で米国議会でバッシングされた際に、ブレーキの踏み味を技術取締役が何センチ何ミリの「フィーリング」で説明しようとしましたよね。フィーリングは技術屋の言葉であってはいけないのです。技術スペックだけが要素ではなく、生活習慣や考え方、心理の違いがプロダクトの価値判断につながることを知らない不用意な発言だったわけです。
世界に売る技術製品にハイブリッドできる文化や生活習慣は日本の中には山ほどあります。たとえば、日本では家の中では靴を脱ぐのが当たり前です。靴を脱ぐことによって日本人は欧米人に比べて水虫や足指の変形が少ないのです。また、素足で家の中を歩く都合、清潔意識も生まれながらに高いわけです。そういった生活習慣から派生した技術や商品は、そういう生活習慣のない外国に対しては、生活習慣さえ根付かせることができれば、売り先の可能性があるわけです。欧米の日系ホテルは畳敷きの和室を作るべきでしょう。畳の部屋に素足で泊まってもらうことです。部屋のバスではなくて、日本式に杉や檜の浴槽を設けた大浴場や露天風呂に素っ裸で入ってもらうことです。そしてその習慣に合った商品やサービスを輸出するのです。いずれは個人の家にも波及するかもしれません。和畳、杉や檜が輸出商品になるなんて素晴らしいことではありませんか?温泉が湧く場所では、欧米では一般的な医療としての温浴ではなくて、娯楽としての温泉文化を施設やサービス、掘削技術など丸ごと輸出することも可能でしょう。
農業生産品についても、文化や生活習慣といった付加価値をつけることです。たとえば、「安全・安心・キレイの日本品質」は我々日本人にとっては当たり前の生活習慣であり、文化です。これを農業生産品にハイブリッドさせて、世界に売り込むことです。価格競争では勝ち目がなくとも、この価値観で消費者になってくれる人を探すことの方が将来性があります。世界には「生鮮」を食べることができない国がいくらでもあります。我々にとって当たり前の「生鮮」は他国にとっては当たり前ではないのです。でも一旦、生活習慣や価値観として日本のものが受け入れられさえすれば、そこにビジネスの可能性が生まれます。要するに価値観を先ずは提供することです。生ものを食べる習慣のなかった中国で富裕層を中心に鮨ブームが起きつつあるのも、日本独自の価値観や生活習慣が中国のそういった層に享有されてのことです。そうなれば、あとはビジネスとなるわけです。
東京都が水ビジネスを世界展開するそうですが、これも蛇口から直接水が飲めるのが当たり前の日本人の生活習慣を世界の生活習慣とする試みです。蛇口から飲むこと自体がカルチャーショックな国は世界中にあります。水だけの話であれば、ミネラルウォーターの会社との価格競争ですが、蛇口から飲むという生活習慣なら日本は世界で競うことができます。
口から飲む水を売り込むなら、ついでにお尻に水をかけるウォシュレットも売り込むべきだとは思いますが。
私はマクドナルドで食事をする習慣がありませんが、昔、日本マクドナルドの創業者である藤田氏が「子どものうちにマックのハンバーガーを食べさせておけば、生活習慣として将来にわたって良き消費者になってくれる」ようなことを言っていたのを覚えています。単にマックのハンバーガーの味のことを言っているのではなく、マクドナルドの提供する生活習慣を子どもに刷り込むことを藤田氏は経営上考えていたのかもしれません。歩きながら食べるとか、子供同士で入店するとか、一昔の日本ではありえない習慣です。母親に行儀や品行が悪いと引っ叩かれる前に、企業人が先ずはそういった習慣を当たり前にすること、その先にモノを売ることがイロハなのかもしれません。極めてプライベートな生活の局面にコミットしたビジネス手法ですが、実はこれが川の上流の発想なのかもしれません。「旨い・安い・早い」では、次に売るものはなくなってしまいます。牛丼業界の競争をみればわかる話です。あらたな文化や生活習慣を提案できなければ「旨い・安い・早い」では共倒れでしょう。限りなく旨く、タダに近く、0秒に近く出てくるなんていうことに企業努力を傾けることはナンセンスです。ユニクロもこれに近いビジネスをしていますが、ある日、タンスの引き出しを開けたら、ユニクロだらけで自己嫌悪に陥ったなんて話は最近良くききます。自分(アイデンティティ)が他の人と「ユニ」(同じ)では、いつの日か自己嫌悪になるのも当然です。
長々と自説をぶちましたが、
子供手当みたいに将来の働き手の頭数を期待する投資の仕方でなくて、将来のビジネスのタネを蒔く投資の仕方にカネを使うべきです。頭数がそろってもその頃に仕事がなくなってしまえばどうしようもありません。次の世代に借金を贈るのではなく、ビジネスのフィールドとチャンスを現世代は次世代に贈るべきでしょう。それもガラパゴス的にニッチにです。世界中の飛び島の中では日本の技術がデファクトであればよいのです。アピールできるような文化や生活習慣がその背景にあれば、島の中で宗旨がえは起きないでしょう。少なくとも日本国民を将来にわたって養うことのできるビジネスのフィールドとチャンスを世界に獲得できます。前述のアップルはパーソナルコンピュータの世界ではガラパゴスです。しかし、カルチャー又は宗教といってよい背景的な要因がその島の住人を離さないのでしょう。日本の企業もこういった背景を多いに前面に押し出してビジネスすべきでしょう。技術馬鹿ではダメなのです。「OTAKU」といった日本発の文化や「安全・安心・キレイの日本品質」といった生活習慣や生活文化こそ、日本が世界を相手に舞台に掲げる大緞帳に金糸でデカデカと縫いつける文言になるかもしれません。その昔、「フジヤマ・ゲイシャ」で米国人に日本製品をアピールしたようにです。
政治家は国策として以上のようなことを経済界とともに考えて欲しいものです。
by R. Enomori
このコメントは投稿者によって削除されました。
返信削除「ガラパゴスケータイが日本復活の「武器」になると渡辺喜美氏(NEWSポストセブン)」
返信削除「その多機能携帯の技術を日本市場に閉じ込めておくのではなく、日本発のデファクトスタンダード(事実上の標準)として輸出し、パソコンの次の情報ツールにするような戦略を描くべきだろう。例えばアフリカなど、パソコンが普及していない地域で普及させれば、一気にその国の標準になる。」
...う〜ん。いきなりデファクト/標準云々を言う前に、広める先の国の生活習慣や文化、価値観へのアプローチが先ですよ!
生活のどの局面に日本の生活習慣を持ち込めるのか問うてみてください。携帯電話でガラパゴスと言えば、お財布携帯のことを言っているのだと思いますが、パソコンさえ普及していない国で、日本の生活習慣を前提としたお財布携帯を持ち込むのは、150kmで走る道路のない国に空力特性値の優れた車を売り込むようなものです。
日本発の技術が外国でコンセンサスを得るには、その国の生活の局面に素直にコミットしたものでなければダメだと思いますよ。前提や必要性がないところにムリに押し込んだところで仕方ありません。アフリカなど新興国では、現世代への投資よりも次世代への投資が重要なのです。たとえば、その国の将来を担う子供たちへの教育といった局面です。
そこに日本がODAとして、国産OSトロンを搭載した、ブログに書いたような、「日の丸ノートパソコン」を供与するのです。
その国の言語が世界から消滅すれば、歴史的にその国は滅びるのは摂理です。
ITの世界で言語がOSとすれば、日本は国産OSであるトロンをガラパゴス的に復活させることです(決して世界的に覇権を取る必要はありません)。1980年代に米国からの政治的外圧で押しつぶされたパーソナルPCでのトロン普及化をもう一度見直すこと。ジツは国産OSを諦めた時点から日本のIT産業は根無し草になったとも言えるのです。
今度こそ、日本国内だけではなく、アフリカをはじめとする新興国の子供たちに、我々のIT上の言語(タネ)を贈ることです。その上に将来咲かせることができる花や果実がその国と日本の次の世代との間の経済的・文化的なつながりを約束するものです。日本の技術立国としての遺伝子(タネ)を今のうちに撒くことです。
その意味で携帯電話で「ガラパゴスケータイが日本復活の「武器」」はちょっと浅薄な意見だと思いますよ。携帯電話は実であってタネではないからです。それもアフリカなどの新興国にしてみれば、教育にかける情報産業に比べて優先順位の低い実なのです。実を蒔くのではなくて、地道にタネを撒かなくちゃ!
「少女時代」は市場開拓“先兵”? 韓国、驚愕の日本攻略(SankeiBiz記事)
返信削除http://www.sankeibiz.jp/business/news/110116/bsb1101160701000-n1.htm
...「サムスン電子のスマートフォン(高性能携帯電話)「ギャラクシーS」など韓国製品が日本で売れ始めている。音楽界では、アイドルグループの「少女時代」や「KARA」らのK-POPが旋風を巻き起こしている。無関係に見える2つの事象は実は密接に連動している。そこには、音楽や韓流ドラマといったエンタメ文化が“先兵”となって韓国への親しみを深めてもらい、市場を開拓するという驚愕の世界戦略があった!?...」
悔しいけど、こういう戦略が「その国の生活の局面に素直にコミット」した「上流ビジネス」なんでしょうね。
韓国流の音楽界の事象が抵抗なく日本で根付けば、強固なビジネスのバックグラウンドになるわけです。こういう背景となり得る文化・生活習慣・カルチャーとプロダクトやサービスのハイブリッドについて、日本企業はもっと学ばないといけないでしょう。ハイブリッドできる文化・生活習慣・カルチャーは日本の中に数えきれないほどあります。
地域活性を言うのであれば、市町村は世界にコネクションのある企業にそれらハイブリッドできる「何か」を提案して、隣町は世界という視野で考えるべき時代でしょう。
今朝のフジテレビの政経番組で、石原東京都知事が東京の中小企業には優秀な技術があるけど、技術を使う場を国の役人は提供しようとしないから、東京都が仲介して中国にその技術を斡旋しているが役人の干渉で...云々と発言されていました。
返信削除話の表面で判断してもどうかと思いますが、これも「ガラパゴスケータイが日本復活の「武器」になると渡辺喜美氏(NEWSポストセブン)」と同じように、「技術」=『武器」という、いささか中抜けの論理です。
その番組でどなたかが発言されていましたが、技術そのものの問題よりも、技術をどう活用するかといった、技術をプロモーションする部分で日本はかなり問題を抱えているようです。
アップルの例ばかり引き合いにしますが、アップルは優れた技術以上に、その技術をうまくプロモーションして、カルチャーともいうべきライフスタイルのシェルごとコンシューマに提供する才能に長けた企業なのです。
つまり、技術以上にデザインとか生活の様々な局面でフィットする感性といった部分で、アピールすることが製品やサービスの宣伝であって、技術そのものを宣伝したり売ったりしようとしない点が「クール」なのでしょう。アップルのCMが何よりもそういった「クール」さを表わしています。技術という作物の優れた農園主であるとともに、その作物を調理して心地よい雰囲気で味あわせてくれる優れた料理人や給仕人のいるレストラン、そのレストランに集う馴染客や芸人(フェロー)の全てをアップルはプロモーションしているのです。多少、その世界は閉鎖的かもしれませんが、それは、私の言う「ガラパゴス」であればできることです。
「技術」という素材勝負だけでなくて、どうその素材を調理し、どういう雰囲気でその調理したモノを提供するかという面で長けていれば、それは一つの価値観/生活文化として「技術」そのものの価値を相乗して、差別化を図ることができると考えます。そういう意味で、もし東京都の優れた技術を持つ中小企業を応援したいと東京都知事が考えるのであれば、プロモーションの重要性に気づき始めている中国に下手に技術という「作物」を提供せずに(彼らは勝手に調理してしまいます)、自分でみずからレストランを開く覚悟が必要でしょう。農園ごと中国に買われてしまうことは何としても避けるべきです。
トヨタ 電子制御システムに欠陥なし 米運輸省が最終報告
返信削除毎日新聞 2月9日(水)10時21分配信
技術上欠陥はないとの結果です。技術だけの問題ならば、これで一件落着です。今回の問題は、ブログでも述べたように、技術そのものに関わることではありません。消費者の心理に関わる部分です。技術がいくら完璧であっても、消費者の心理に訴える何かが欠けたプロダクトであれば、簡単に消費者は宗旨がえをしてしまいます。
イタリア車はトヨタ車と比較すれば故障が多いものです。だからといってトヨタと同じ問題になりません。消費者の心理に訴える別の価値があるのでしょう。
「売る」という観点では、決して一件落着ではないのです。