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2011年1月18日火曜日

山寨(パクリ)に学ぶこと

『前回、『 2009125日、 山寨(さんさい=パクリ)が中国の08年の流行語の1つに選ばれた。春節(旧正月)には国民的年越し番組「春節晩会」(春晩)の「山寨版」まで登場し、話題を集めた』と言う記事を載せた。その時に私の理解不足から誤解を生じているかも知れない。ここに再度書いておきたい。というのは、培地の偽物のために迷惑を被った学生の陳陽が非常に憤っている。怒るのはもちろん当然だと思うけれど、つい「だって中国では山寨文化が花盛りで、皆にもてはやされているじゃないの。」と私は言った。すると陳陽は憤然として「あれは山寨ではありません。偽物なのです。偽物を作って売るなんて非常に迷惑です。」と言う。それでよくよく聞くと、山寨はそっくりさんのことを指していうのだそうだ。一方偽物は假という。Pradaに対するParadiの、 iPhoneに対するHiPhoneは、そっくりだけど別のもので、消費者を瞞しているわけではない。消費者は別のものと知っていて、それを選ぶのだという。本家本元よりも消費者の人気を集めるところがもてはやされる山寨文化なのだ。なにしろ『米Apple社「iPhone」の山寨版「Hiphone」は11000元(約13000円)で売られて、世界で15000万台を売り上げる大ヒット商品に』なったという。つまり山寨はヒーローであり、『権威や権力に真っ向から立ち向かう「知恵や勇敢さ」が国民から支持されている』のだ。私はこの山寨の精神と、偽物を平気で作る気質を一緒にしていたが、中国人にとっては別物というわけだ。』(達也の瀋陽だより‎「20090303() 山寨文化について」から)

山寨(パクリ)とは外観はそっくりだけど、中身は全く別物(模倣元には備わっていない機能が付加される/模倣元よりも安価なのに高スペックなど、ある意味では本物)ということで、假(偽物)とは外観はそっくりだけど中身は偽物(ゴミ)のことで、両者は異なるということらしいです。私の理解が間違っていたらごめんなさい。

『中国政府は知的財産権を保護しているというものの、中国は世界最大のパクリ大国となっている。自動車のみならず、IT・通信産業や服飾産業など、ほぼ全ての産業において「山寨」が存在するのである。「山寨」の発展は中国国内の消費者にとっては消費への敷居を下げることになる。また、経済発展を促進し、産業の競争度合いを強めるものでもある。業界にとっても庶民にとっても、「山寨」は弊害よりも利益のほうが大きいのである。米国アポロ計画はナチスの科学技術の上に成り立った成功であるし、日本の学習能力の高さが日本の経済発展をもたらしたが、学習ですら模倣であろう。韓国の自動車産業、電子産業、半導体産業も米国や日本の先端技術を模倣し、それから改善することでイノベーションを手に入れたのである。つまり、模倣も剽窃(ひょうせつ)も実は正常なことであり、模倣したことのない人がこの世に存在するだろうか?最も重要なのは、模倣の上にイノベーションがあることで、模倣を通じて技術を自らのものにすることなのである。』(サーチナ 2009/4/22 webニュースから)

「山寨」は弊害よりも利益のほうが大きい/模倣の上にイノベーションがあるということですが、知的財産権の有無に関わらず、利益優先の観点から「山寨」=イノベーションと直結して思考するのは、もはやその国の文化や価値観というべきものなのかもしれません。模倣を通じて技術を自らのものにするという点はまさに核心で、先項のブログで述べたように、日本の製造業が長年築き上げたモノづくりのノウハウを自らのものにすること、ではないかと思います。以下のように人ごとのノウハウの流出を危ぶむ声もあります。

『日本で定年を迎えた技術者が破格の報酬でスカウトされる場合が少なくありません。また、スカウトした日本人を通じて、個々の技術者の技術能力や境遇まで詳細に調べ上げ、これらの情報をもとに、本当に必要とする技術者に狙いを定めて誘いをかけることも行われています。かつては、スパイによる情報収集が中心だったのが、最近では潤沢な資金にモノを言わせ、必要な技術を人ごと手に入れるケースが多くなっているのです。国内で働く日本人技術者の中には、週末を利用して副業的に中国で働く人もいるようです。企業の中には、週末の空港での人の動きを撮影して該当する社員がいないかチェックしたり、社員のパスポートを一括して保管するなどの対応を図っているところもあります。(中略)中国が、日本企業の有する多くの技術ノウハウを簡単に手に入れられる今の状況は、将来の日本を考える上で非常に危ういといえます。一部の日本企業は、重要な技術部分はあえてブラックボックスにして中国企業と提携する取り組みを始めていますが、官民一体となった抜本的な取り組みが望まれます。』(「日本企業のノウハウは何でも手に入れられる中国」大林弘和氏ブログ 2010.11.25から)

日本人の仕事に対する生真面目さからすれば、頼りにされれば応分以上に教えてしまうといったことがあるのかもしれません。また、定年を迎えた技術者ばかりでなく、大企業との取引関係を絶たれた中小の製造業者にとって、生きるか死ぬかの瀬戸際では、上述のスカウトに応じることでしょう。ノウハウは人ごと吸い取られることになります。一部の企業の取り組みとしてのブラックボックスの件は、私の前項のブログで述べたように技術や発明の「秘匿」ということなのでしょう。それはそれとして、企業間・異種業間の技術交流の妨げになりかねません。また、ブラックボックスにするなど(特許出願しないなど)の根本的な取り組みを行うのであれば、特許制度の役割の見直しを産業政策上行う必要もあるのでしょう。

特許制度の役割の見直しということでは、欧州特許庁が2007年に発表した「未来へのシナリオ(Scenarios for the future)」ではオープンソースやオープンイノベーションの流れから知識の共有財化=コモンズが進み、2025年までに特許制度はなくなると予測した内容で、特許制度を守るべき欧州特許庁の意外な予測として喧々諤々の議論と反響を呼びました(多くは否定的見解)。

「山寨」は弊害よりも利益のほうが大きい/模倣の上にイノベーションがあるとする、プレーヤーが大挙して現れ、それに対して「秘匿」など企業側が防衛手段を講じることによって(虚業者によるパテント・トロールにおいても「秘匿」は企業の防衛手段となりつつあります)、特許制度が本来期待するところのイノベーションの支援による「価値あるサイクル」が回らなくなれば(他にも種々の制度障壁が前述のシナリオでは指摘されていますが)、あながち欧州特許庁の先の予測を全て否定することもできないような気がします。技術開発と品質管理や安全性、特許権と訴訟といった日々増大し企業活動をあらゆる面において圧迫するトレードオフ(二律背反)問題から、オープンソースやオープンイノベーション化による、群集知(クラウド)に解決を求める企業が今以上に将来現れるかもしれません。また、シナリオを将来受け入れざるを得ない業界もあるのかもしれません。


「山寨」を言下に否定することよりも(山寨文化や価値観はそうそう否定することはできません)、たとえ「山寨」があるとしても、イノベーションを支援し「価値あるサイクル」を回すことが可能な新たな経済システムと特許制度の見直しが必要なことなのかもしれません。日本がその見直しにおいて世界にイニシアティブを取ることを大いに期待するところです。

by R. Enomori



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