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2010年12月7日火曜日

シモーネ・ヤング(Simone Young)のブラームス交響曲第1番評

エームスレーベルからの今月の新譜。
ブルックナーの交響曲シリーズでなかなかの演奏を聴かせてくれたオーストラリア出身の女流指揮者、シモーネ・ヤング(Simone Young)がハンブルク・フィルハーモニーを振ってブラームスの交響曲シリーズの録音を始めました。
その第一弾として第1番の交響曲がリリースされました。
池袋東武のHMVの店頭で第一楽章冒頭を聴いて、これはと思い購入。以下は個人的な試聴評です。


冒頭アレグロ楽章の開始部分、重々しく荘厳な出だしに名演の予感。ところが、聴き進めていくうちに、何とも落ち着きの悪い演奏だと感じるようになります。各パートのつながりとか全体のトーン、テンションがバラバラなのです。細部にこだわるあまりに全体の見通しがたたなくなってしまった感があります。時折ハッと思わせる展開もあるのですが、全体の構成力がないのでパッチワークのように継ぎ目が見えてしまいます。冒頭部分が荘厳であっただけに最終楽章に期待したのですが、妙にソワソワとしたテンポ感で各パートが浮き足立っています。

ヤングはブルックナーの演奏では感心することが多かったのでしたが(特に3番の交響曲)、なぜこの演奏は今ひとつと感じるのでしょうか?演奏上のある程度の表出性や即興性をブルックナーの交響曲では許容できるのでしょう。作曲上の無駄の多さがブルックナーの魅力なのかもしれません。かなりデフォルメしてもブルックナーに聴こえるのです。私小説のように一人称で解釈することが可能なわけです。"will"で語る音楽なのかもしれません。

一方、ブラームスは叙事詩的です。"shall"で語る音楽なのでしょう。「そうするべき」ではなくて、「そうあるべき "Es muss da sein"」です。必然性に由来する平衡感や緻密性を呈するようです。

ギュンター・ヴァントがベルリン・ドイツ響を振ったライブでの同曲を比較してみました(PH09058)。



冒頭部分、颯爽且つ「決然として」始まります。一聴してその違いは明白でした。各パートが埋もれることもなく且つ飛び出ることもなく、マットなトーンを保ちながら、強いテンションで各パートが引き合っています。全体の構成がしっかりしているので、骨格が逞しいにも関わらず表面には継ぎ目一つあらわれません。つまり、各パートの表現ではなく、一つの巨大なムーブメントとして朗々・滔々と演奏がなされているのです。

ポルシェのエンジンが奏でるサウンドのように、多くの部品を精密に組み上げて調整して初めて成る音響はまさにブラームスの交響曲にも言えることではないでしょうか?
その意味で、ヴァントの演奏には必然としての響きがあるようです。

しかし、ヤングのブラームス、続編にはなお期待するところです。

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